2008年09月26日
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荒玉水道脇・下高井戸と永福町の境界にあるトマソン的舗装路

Written By: 川俣 晶連絡先

 ご近所を歩き回っていちばん面白いのは、何度も歩いたはずの場所に意外なものが発見できること。

 とりあず、現時点で分かったことだけメモ。

トマソン的舗装路 §

 最近、荒玉水道を歩いているときに、妙なものを発見しました。(下の地図のD点付近からC点方面を撮る)

荒玉水道側から見る

 以前は、何かの施設の入り口の門かと思って気にもしていませんでした。しかし、この先には何もありません。

 要約すると以下の通りです。

  • 舗装された道路
  • 施錠された扉による入ることはできない

 神田川側にまわると、出入り口らしいものが見えますが、ここも閉ざされています。そして、ここは舗装路の終点ではありません。(下の地図でB点付近を神田川から見る)

神田川側から見る

 しかし、ここは終点ではありません。この先にも更に道は続き、細くなって消滅します。(下の地図のA点付近を、北西方向から見る。写真に見える道は下高井戸グラウンドのジョギングロード。柵の左側は神田川。両者の中間のどちらでもない領域が問題の舗装路の終点)

下高井戸グラウンド側から見る

地図 §

 A~Dが今回のテーマ。E~Hにも似たような連続カーブが見られるが、ここに舗装路はない。

下高井戸と永福町の境界線 §

 実は、このA~Hのラインは、下高井戸と永福町の境界線でもあります。ほとんど両者の境界は神田川上にありますが、この部分に限っては神田川を越境して、南岸に永福町がはみ出しています。謎の舗装路の南側は下高井戸三丁目26、北側は永福三丁目1です。

これは何だろう? §

 当初、これは水路跡かと思いました。神田川支流ないし本流の跡です。「舗装路+立ち入りできない」という構成は、杉並区側ではまず見ませんが、世田谷区側では珍しくない典型的な水路跡のスタイルの1つです。もし、杉並区側で発見されたのであれば、非常に珍しい事例になります。

 しかし、goo地図で昭和22年・ 昭和38年の航空写真と照らし合わせてみると、どうもそうではないことが分かってきました。

神田川本流の特徴 §

 これまで、神田川は主に支流を扱い、本流は現在の姿だけ見ていました。その結果、見落とされたことがあります。

  • 現在の神田川の本流の幅は水が流れる幅にほぼ等しい
  • 過去の神田川には広い河原が存在し、神田川が占有する幅と水が流れる幅はかなり違う

 従って、神田川本流の跡地が、このような狭い舗装路であるはずがありません。

A~Hラインの正体とは §

 goo地図を見る限り、A~Hラインとは、流路改修前の神田川の南岸ラインです。通常時に水が流れていた位置ではなく河原と周辺の境界線です。よって、水路跡ではあり得ません。もしかしたら、河原との境界線に道があって、その残りが上記の舗装路なのかもしれません。あるいは、河原が果たしていた通行可能経路の機能を残すために作られた道路かもしれません。

 しかし、昭和49年度の航空写真を見るとこの道路は見あたりません。もっと別の意図で作られた別の何かかもしれません。

感想 §

 とりあえず、水路跡ではないことだけは間違いなさそう。

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